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(読み仮名:あつかしやまぼうるい(たかはしちく))
文治5年(1189年)奥州合戦における、最大の激戦場となった阿津賀志山に、奥州平泉の藤原泰衡が源頼朝の率いる鎌倉軍を迎撃するために築かれたもので、この山の中腹より西大枝の石田へ続く約3.2km薬研堀状の防塁跡。地元では俗に二重堀と呼ばれている。
指定別 | 国 |
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種別 | 史跡 |
指定年月日 | 昭和56年3月14日 |
所在地 | 国見町大木戸字高橋地区 |
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